鉄のふるさと宍粟
私たちのふるさと宍粟は、古代から鉄を作り、とりわけ中世以降は「千草鉄(宍粟鉄)」という銘柄で有名になったところです。播磨国のお隣の備前国は、日本刀の最大の生産地で、国宝や御物となった名刀を数多く生み出していますが、その備前刀の原料鉄に千草鉄が大きな役割を果たしていたことも知られています。
千草鉄というのは、現在の千種町・一宮町北部・波賀町など宍粟市北部で生産された鉄で、「宍粟鉄」ともいいますが、千草鉄という名前の方が全国的によく知られています。
日本古来の鉄づくりは「たたら製鉄」と呼ばれ、砂鉄を木炭で燃やし鉄を取り出しました。明治初期に西洋から溶鉱炉で鉄鉱石をコークスで燃やす近代製鉄が伝わるまで、たたら製鉄は行われていました。
たたら製鉄が行われていた場所は「鉄山跡」と呼ばれ、今も鉄滓(砂鉄を溶かす際、砂鉄に含まれていた不純物が溶け出して固まったもの)がたくさん落ちています。中でも、天児屋鉄山跡は国内最高の近世鉄山跡として学会でも高く評価されています。
私ども「宍粟鉄を保存する会」は、これら、ふるさとに遺っている有形無形の文化遺産の保存に尽力するのはもちろんのこと、これらの遺産が私たちに何を語りかけているのかを聴きとり、大人も子どもも足下を見つめ直し、ふるさとの歴史を身近に引き寄せて、「甦れ宍粟鉄」の合い言葉とともに、ふるさとの再生に取り組んでいきたいと考えています。
(鳥羽弘毅先生著作物より引用)
写真は、千種中学校たたら製鉄実習で、ミニたたら炉に砂鉄と木炭を投入しているところです。
このホームページは、「宍粟鉄を保存する会」から発信しています