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播磨国風土記の記述「鉄を生す」

播磨国風土記

 播磨国風土記に敷草村(後の「ちくさ村」)について次の記述があります。
① 敷草村 鐵を生す の記述
「敷草為神座 故曰敷草…生
杉栗黄蓮黒葛等 生鐵 住狼罷」
「草を敷きて神の座(みまし)と為しき 故(かれ)敷草(しきくさ)といふ…
(ひのき)・杉(すぎ)・栗(くり)黄蓮(かくまぐさ):黒葛(つづら)等(ども)生ふ(おふ) 鐵(まがね)を生す(いだす) 狼(おおかみ)・罷(くま)住めり(すめり)」

②「鐵を生す」の記述は他に二個所あります。御方里と讃容郡(さよぐん)です。

③播磨国風土記の編纂は和銅6年西暦713年頃、元明天皇の御世ですから、約1300年の昔ということになります。

④讃容郡 の記述に「難波(なにわ)豊前(とよさき)の朝廷(みかど)に始めて進りき(たてまつりき)」とあります。鉄を奉納した難波豊前の朝廷とは、孝徳天皇在位の645年から654年までの10カ年です。

⑤以上のことから、当地の鉄づくりは西暦600年頃には始まっていたと考えられます。佐用郡の鹿庭山(かにわやま)遺跡調査では 6世紀後半の炉床の存在が発見されています。


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